がん治療

【がん治療】人生観が変わった話

はじめに

今回は、がんの治療を行い、人生観が変わった話を書きます。

ちなみに現在は、ほぼ回復して元気です。

大まかなところは、こちらの記事を参照ください。

では、興味のある方は、次項以降をお読みください。

人生観が変わった話

これまでの人生観

これまでは、じわじわと年を取り、定年退職し、しばらく好きなことをやったら身体が動かなくなり、家族に迷惑をかけながらも生き続け、いずれ老衰でひっそりと亡くなるのだろうな、などと朧げながら考えていました。

しかし、今回がんが見つかり、手術を受けたことにより、この考えが根底から覆りました。

老衰で亡くなるまで生きるなんて、そんな長く生きられるわけがなく、残りの人生にはリミットがあり、既にカウントダウンは始まっていて、あっという間にその日が来るという事を明瞭に認識する機会となりました。

無茶な仕事とお酒でストレス発散

30代前半から40台前半の頃は、60歳以降まで生き続けるつもりが全くなく、また、自分の人生のままならなさに辟易していたこともあり、かなり無茶な仕事や生活を送っていました。日程、費用、リソース全てに無理のある大きなプロジェクトを担当しながら複数の重量級のクレームも担当し、出勤してからその日の0時過ぎに家に帰ることはざらでした。定時に帰るなんてのはありえないし、土日もだいたい出勤しているというブラックな状況の中で毎日のほとんどの時間を仕事に費やしました。

そして長いことこの状況が当たり前だと信じて疑いませんでした。現在の会社で仕事をするようになってから今年で26年になりますが、ざっと20年くらいこんな感じで仕事に生きていたと思います。

その結果、20年間で40年分以上の労働時間を費やし、そのおかげで、技術と経験を相当蓄積することができたため、フルスタックエンジニアとして生きていくことができるレベルにまで至りました。

しかし、その中では色々なものを犠牲にしました。今にして思えばアホです。

仕事優先で生きていると当然ストレスがたまるわけで、その発散方法は毎週金曜日の夜に誰となく声をかけて明け方まで飲み歩くという事でした。夏になると、夜が明けるのが早くなるので、朝4時近くに家に着いた時には既に明るくなっていて太陽がまぶしいという経験を何度もしました。

泥酔状態で家に帰って、汗と煙草のにおいがひどくて気持ち悪いため、スッキリしたくてお風呂に入り、湯船につかり、朝に誰かが起きてくるまで湯船で寝ていたことも何度もありました。よく死ななかったなと思います。

ちなみに、飲み過ぎて失敗した話の一つをこちらに書きました。

喫煙者だったので煙草を消費する数も増えてゆき、一時は咳が止まらず痰に血が混じっていたこともありました。それでも仕事を優先して病院で診てもらうことをしないで放置を続けるという、健康に一切気を払っていませんでした。

今にして思えば、まさにアホです。

こんなストレスのたまる状況と、健康をないがしろにした生活をしていて、身体を壊すのは当たり前だったと思います。今にして思えば、がんになる心当たりがありすぎますね。2020年にコロナが流行ってから強制的に飲みに出られなくなったのは健康上、良かったのではなかろうかと思う今日この頃です。

残り時間

人間ドックを受けた日に担当医に呼び止められて結果が思わしくないことを聞き、翌週に大腸内視鏡を受けた時に、大腸がんであることが確定しました。

内視鏡のカメラ映像を医師と一緒に見ていたので「大腸内にでかいおできが出来てるな」くらいにしか思っていなかったのですが、これが大腸がんだと説明を受けた時には、現実を受け入れるまでに十数秒かかりました。しかも、大腸がんが転移して肝臓にまで影響を及ぼしているという事がわかったときには、やはり受け入れるまでに十数秒かかりました。

ただ、それよりも、既に致命的でリミットが切られるのか、それとも生き続けることが出来るのかどうかを確認する方がずっと重要で、手術に至るまでの間に何度も検査を行いましたが、その度に、結果が最後通告でないようにと祈る気持ちがありました。

とはいえ、今まで生きてきた中で既に多くのものを手にしていたし、息子も娘も成人したし、結構自分の人生に諦観を持っていたので、短かろうが長かろうが、やることは一つ、これまで通り好きにさせてもらいますよ、と思っていたので、それほど気に病みはしませんでした。

「大腸がんは95%は助かる。でも、転移しているので再発が50%くらいである。」と聞いたときは、今すぐどうにかなるわけではないことに安堵した一方、見通しがわからないことから本当に喜んでいいのか良くわからない気持ちになりました。でも、確実なことは、リスクを抱えていることと、残り時間が設定されたということでした。

おそらく関谷さんの残り時間は、5年から10年といったところになると思います。5年間がんの再発が見られなければ、10年は生きられると言われますが、残りが5年と考えて生きた方が持ち時間を有効活用する動きにつながると考えて、より短い方の5年をこの先の持ち時間に設定することにしました。

今年が2022年なので、5年後は2027年です。その時関谷さんは53歳となります。ここが関谷さんの活動限界です。それまでに何をやり、何をやらないかを明瞭に区別する必要があると考えました。

残り時間の使い方

これからの5年間をどう生きようか、そして今日一日をどう生きようかと本気で考えるようになりました。

もう関谷さんには何かを迷っている時間なんてありません。戸惑っている時間なんてありません。もちろん、無駄にする時間もないし、誰かに自分の時間を搾取される時間もありません。

5年という時間は長そうに見えますが、何かを達成するには短すぎる時間です。

ずるずるとなんとなく生きるのはもう止めです。仕事を最優先にする生き方ももう止めです。これからの最優先は、自分がやりたいことに注力することに決めました。

そして、何をやりたいのかを明確にするために、以前作成したまま放置していた「死ぬまでにやりたい100の事」をもう一度見直しました。

ここには夢と希望が詰まっていました。

本当に夢のような希望も書かれていましたが、達成できた時の喜びはきっと大きく、間違いなく満足感をもたらせてくれるという内容がたくさん書かれていました。なので、これらを一つ一つ達成していくことを目標として行動することにしました。

会社とのかかわり方

関谷さんはとにかく気持ちよく生きたいと思ってます。

一番気持ちがいいのは、自分が持っている知識と経験を生かすことにより、誰かが喜んでくれることです。

会社に貢献するというのは最優先ではありません。仕事をすることにより、結果として会社に貢献することになるかもしれませんが、それを目的にはしません。

今後は、自分ファーストで物事を考えることにシフトすることにしました。そして、会社に関わる時間はこれまでの半分以下にまで下げるつもりです。残業は極力しません。休日出勤は二度としません。私の時間は私のものです。これにより今後の評価は落ちますが、そんな評価は一切気にしません。私は私の道を勝手に進むから、勝手に評価してくれればいい。

私の持ち時間を必要以上に搾取する会社とは距離を取ることに決めました。

まとめ

今回の話はここまでです。

がんが見つかり手術を行ったことは、「自分の人生を決めるのは自分自身」という事を身にしみて感じることのできるようになった一大イベントでした。

そして、「一分一秒が惜しい」と思うようにり、毎日を全力で生きようと思うようになったのもこのイベントのおかげです。何かを決めたり、進むことに戸惑いを感じて、後回しにしてしまおうかと思った時にはこう自問自答します。「考えて迷っている時間はあるのか?」と。これまで以上に考えるよりも行動し、行動しながら考えるという方針で生きようと思います。

死ぬ時は、徹底的に生き尽くした後だと決めたのだから。

では、次回につづきます。

-がん治療
-