はじめに
1990年代に続いて、2000年代に所有していた端末について紹介します。
この頃にあったことで覚えているのは、以下の通りです。
- インターネットが業務のコアインフラとなり、メールでのコミュニケーション、Webでの情報収集、イントラネットでの情報共有が一般的になった時代です。業務において、一人ずつPCが配布されるようになったのは2000年前半でした。
- 2000年問題の危険性が提起され、回避するためにシステムコードをすべて見直したというのもやりました。1999年12月31日夜~2000年1月1日朝まで会社で待機したね。
- オラクルやマイクロソフトなどのオープン系ソフトベンダーの株がガンガン上がり、ドットコムバブルを形成した。その後、一気に破綻。
- また、何人投入しても、何時間残業しても終わる見込みのないソフト開発プロジェクトを「デスマーチ」と呼ぶようになりました。まさに関谷さんもデスマーチプロジェクトで残業200時間が何カ月も続く経験をしました。よく死ななかったな。
この頃の関谷さんは20台後半から30台前半で、個人的なイベントとしては、結婚して、子供が2人出来て、忙しくも楽しい毎日を送るようになっていました。一方、PHSの基地局開発に手を出していた会社の業績は悪くなる一方で、2005年に土地を売って借金を返済し、今いる群馬県に移転したというイベントもありました。
そんな状況の中、どのような端末を所有して活用していたのかについて、見ていきましょう。
所有端末変遷 2000年代
2000年~ カシオ カシオペアE-125
小さくて機能満載なガジェット大好きな関谷さんは、このカシオペアE-125をビックカメラで初めて見た時には衝撃を受けました。WindowsCEを搭載したハンドヘルドPCとして世の中に出てきて、PCカードスロットも搭載しているため拡張性もあるという優れモノでした。とにかく掌に収まるサイズのPCというのに初めて触れたこともあり、どこにいてもさっと取り出してメール送受信や、メモ書き、Webブラウジングなどに使えるのではないかと思いました。スーツの内ポケットに入るサイズであればベストだったのですが、少々厚みがあったため、それは難しくても、カバンの中の取り出しやすい場所に入れておいても邪魔にならないサイズと重量がとてもよかったです。
ハードボタンはカーソルキーあわせて4つのみで、キーボードはスクリーンキーボードでしたが、ちょっとした入力には十分でした。当時は白黒のモニタも多かったのですが、これはカラーだったので表現力もありました。
価格的には10万もしたので高価な端末だったのですが、数カ月悩んだ後に、ボーナスが入った月に購入に踏み切った覚えがあります。
ところが、買ってみると意外に使えないことがわかり、1年使わずに文鎮となりましたorz
なんとももっさりした動作、Wifiを持っていないため母艦PCとの同期は専用ケーブル経由のみ、PCカードスロットはあるけどWindowsCEに対応したPCカードは少なく、拡張が十分にできない、電池の持ちが悪く使いたいときには落ちていた、スクリーンキーボードを専用のペンでぽちぽちする煩わしさ、微妙なサイズ感のため、思ったより邪魔になる、等々、使ってみて始めたわかる不満が多々ありました。
ここで、やっぱWindowsCEは機能はいろいろあるけど、もっさりするし、いまいち使い勝手が悪いよね、という結論に至りました。
関谷さんの中で、期待と値段の割に活躍できなかった残念端末としての第1位です。
Wikiにカシオペアのページがあったのでリンクを載せておきます。
結構この当時はWindowsCE端末が出ていたのよね。NECのモバイルギアとか、ヒューレットパッカードのJornadaとか、日立のペルソナとか、ドコモのシグマリオンとか、シャープのTeliosとかがありました。あ、そういえばTeliosヤフオクで買って使っていたことがあったな。
でも、WindowsCE端末、どれも使い物にならなかったよ。手を出さなければよかったと、買って使ってみてから後悔した端末ばかりでした。
2001年~ J-Phone SH-07
しばらくは、携帯電話としてはパルディオ611Sで充分でした。
しかし、この頃に白黒だった液晶がカラーになり、更にカメラ付き携帯電話が出てきました。携帯のカメラで撮影してすぐにメールで送信できるというのが売りの「写メール」という言葉が出てきたのがこの頃です。
ガジェット大好きな関谷さんは、相当買おうかどうしようか迷いました。でも、よく考えると比較的ボッチだった関谷さんは、写真を撮っても送信する相手がいないことに気が付き、しばらく様子見をしていたことを覚えています。
そして、技術の進歩はすさまじいもので、次に出てきたのが、組み込みJavaを搭載した携帯電話でした。携帯の液晶で踊りまくる「うらら」ちゃんを初めて見た時に衝撃を受けて、次の日には買っていました。まさに衝動買いですね。それがJ-Phoneから出たJava搭載端末のSH-07でした。流線型のフォルムにキラキラしたおしゃれな外装、二つ折りの端末で、コンパクトになりますし、パカッと開けて颯爽と電話をして、終わったらパクンッと閉めてポケットにしまう動作にかっこよさを感じて興奮したことを覚えています。今にして思えばアホかと思いますが、当時はそういうのが流行っていたのよね。
無駄に写真を撮ってみたり、無駄にJavaアプリを落としてみたりして、すげーと小学生のように夢中になっていました。2週間くらいかな。でもやっぱりボッチの関谷さん、通話相手も写メ相手もいないから、結局飽きちゃったのよね。確かにJavaで動くアプリは目を引きましたけど、起動までにやたらと時間がかかりますし、動いたところで魅力的なアプリがあったわけでもないし、Webブラウジングもできたのだけど、やっぱり通信速度が遅いし、携帯のスペックが今と比べると相当低かったので、もっさりしていたたことから、インターネット上の調べ物をするときにはサクッとノートPCを広げて処理していたので、電話機能を使うだけになりました。
でも、技術の進歩を感じられたから良しとしましょうか。そんな感じです。
この頃のIT技術の進歩は、ドットコムバブルがあったこともあり、手当たり次第に発展して迷走していたと思います。
2002年~ シャープ テリオス HC-AJ2
2000年前半は都内のお客様のところに毎日通う状況で、まさにデスマーチの真っただ中にいたため、電車移動中の隙間時間などで、すぐに起動し、簡単に情報が整理できてメールの取れる端末が欲しくなりました。そしてテリオスを入手しました。WindowsCE端末で、すぐに起動してすぐに終了できる手軽さと、コンパクトなA5サイズで重量810gと軽く、更にフルキーボードを持っていたというのが購入の決め手でした。
新品はお高かったので、ヤフオクで中古品を3万円くらいで入手したと思います。
PCカードスロットも持っていので、パルディオ611SをサクッとPCカードスロットに挿すと、メールチェックやWebブラウジングができる優れモノでした。電源ボタンを押すと即起動するし、シャットダウンの必要がなかったので、出張時に電車での移動時間や空き時間に報告資料の元ネタとしてテキストベタ打ちを良くしていました。その後、作成したテキストファイルを会社のメールアドレスに送信して、会社に戻ったらWordで整形して提出するという、どこにいても仕事ができて時短に貢献してくれた端末でした。
モデム内蔵でRJ-11のモジュラージャックも持っていたので、アナログ回線を接続するとすぐにインターネットに接続できる端末だったのですが、パルディオ611Sを持っていたことと、アナログ回線と接続できる場所が限られていたので、あまり使いませんでした。
他に、MP3の再生機能を持ち、IBMの1GBの容量を持つMicroDriveを使うことができたので、MicroDriveに音楽ファイルをたんまり詰め込んで、MP3プレイヤーとしても使っていました。これは結構重宝しましたね。
WindowsCE FANに紹介記事が残っていました。
所有したWindowsCE端末で唯一満足した端末でした。
2005年~ ソニーCLIE PEG-T400
カシオペアを手にして以降も、何とか手になじんで必要な機能が搭載されたPDAないものかと常にアンテナを張っていました。特に、思いついたらすぐにメモできることと、メールを送受信できればそれで充分で、スケジュール管理もできればいいけど、そこは優先度が高くない、と思っていました。
この頃、Palm端末が流行っていたのよね。独特のグラフィティという入力方法が採用されていて、Palm上の入力エリアにアルファベットや数字をペンで書くことで文字入力をするというものでした。反応が早く、カシオペアよりもよっぽど入力しやすかったことを覚えています。母艦となるPCが必要で、Palm上で入力したデータは母艦PCと同期して管理はPC上で行うといった使い方でした。
PEG-T400はモノクロだったのですが、ハイレゾ液晶を採用していたため、文字がとても見やすかったのよ。しかも、とても薄くて1cmほどだったのね。なので、ワイシャツの胸ポケットに入れても邪魔にならないサイズだし、さっと取り出して、すぐにメモ書き出来て、さっとしまうことのできる理想の端末でした。メールの送受信はできませんでしたが、毎日母艦PCと同期することでスケジュールも同期させることで確認することができたので、とても重宝していました。
お値段もそれほど高価ではなく、2万円切るくらいで入手した覚えがあります。
この端末は使いましたね。とにかく思いついたアイディアをメモ書きしたり、一日にあったことを日記として記録したり、打ち合わせの議事メモを取るのに使ったり、電車の時刻表をデータとして保存して確認するのに使ったりと、メモの書き込みと確認のために使いました。特化した機能で使ったことが功を奏したのか、携帯端末としては結構長く、iPhone 3GSを手にするまで5年くらい使っていたと思います。
メモ書き特化で有効活用できた優秀な端末でした。
アスキーに記事が残っていたので参考にどうぞ。
2006年~ ウィルコム W-ZERO03[es]
しばらくは携帯端末としてJ-Phoneを使っていたのですが、やっぱりPDAを使って颯爽と仕事ができる端末が欲しいと常日頃思っていたのよね。そんな時に見つけたのが、このウィルコムW-ZERO03[es]でした。
液晶の大きなスティック型の携帯端末に見えるのですが、筐体をスライドさせるとフルキーボードが出てくるのよ。液晶のスクリーンキーボードでぽちぽちするのも悪くはないけど、やっぱりキーボード入力が最速のオペレーションだと思っているので、物理キーボードがあるのはすごいと思いました。
ウィルコムW-ZERO03には、esと比べてもう一回り大きな端末WS003SHもあったのですが、大きいし、重いし、なによりスマートじゃないので、欲しい機能は搭載されていましたが、ちっとも欲しいと思いませんでした。でもですよ、esはコンパクトでスマートで無茶苦茶かっこいいじゃないのさ、と関谷さんの心に刺さったわけですよ。しかもPHS端末なので、月額使用量がお安かったこともあり、すぐに予約して購入しました。同じことを考える人が多かったらしく、予約してから入手するまでに1カ月待たされました。
WindowsCE FANに記事が残っていたので紹介します。
プライベートではGmailを使用していたので、ノートPCからもこのW-ZERO03[es]からもメール送受信できるので、これはイイねと思っていました。最初のうちは。
でも使い続けるうちに、やっぱりWindowsCEはもっさりして、アプリ起動までに待たされるし、メモ書きをするにも待たされるし、またされてイラッとしているうちにメモしたい内容を忘れるし、キーボードぽちぽちするもボタンが小さくて入力にイラつくので、半年も使ったら通話機能以外は使わなくなってしまいました。
アプリの起動速度と、キー入力方法が最重要と認識した1台でした。
また、もうWindowsCEには二度と手を出さないと心に誓うに至った1台でもありました。
関谷さんの中で、期待と値段の割に活躍できなかった残念端末第2位です。
まとめ
2000年代はインターネットが業務インフラのコアに成長し、それに伴い、PCやサーバ性能の前提条件がインターネットに接続して各種サービスにアクセスできることになった時代でした。この30年間で一番ドラスティックにIT技術が発展して、一般に普及していった時代だったのではないかと思います。
一方、まだクラウドサービスという概念がなかったので、データは端末に格納するだけで、端末間で情報共有するには個人的にストレージを用意して手動で同期するのが一般的でした。しかも、端末のOSは様々なものがあったので、完全に同期することはできず、ひと手間入れないといけませんでした。それでも同期できるだけで情報の一元管理ができたので満足していたのですが、2020年代の現在と比べると稚拙な環境だったのだと思います。
次回は、2010年代の所有端末について書いていこうと思います。
では、今日も良い一日を。