関谷さん

昔話 90'sからの所有端末変遷(1)-1990年代

はじめに

最初に宣言します。何の有益な情報提供にもなっていないと思います。今から30年前を振り返って当時のIT技術と現在を比較するととても楽しかったので、ただただ自己満足のために勢いで書いてしまいました。

ただ、無理やりにでも有益な情報と言えるかもしれない点としては、30年くらいを振り返ると、要所要所で起こっているパラダイムシフトは突発的に発生しているのではなく、当時のIT技術と時代背景がマッチして起こったことがわかるので、これからのIT技術の発展を予測する上で参考になるかもしれない、という事でしょうか。

まずは90年代からとなります。

90年代初期は、インターネットはまだ普及しておらず、パソコン通信が全盛の時代でした。Windows95が出る前は、PCを持ってパソコン通信をしている人たちはオタクと呼ばれ、マイノリティとして認識されていた時代だったので、当然インターネットも現在のように広く認知されていませんでした。

このような時代に所有していた端末について、関谷さん目線で書いてみます。

90'sのことは下の昔話でも触れているので、時間のある方は眺めてみてください。興味深く読めるのではないでしょうか。

では、見ていきましょう。

所有端末変遷 1990年代

1993年~ ポケベル

「ポケベルから!?」なんて思わないでください。これ当時の女子高生の間でも大流行した重要な端末なのよね。

初期のポケベルは、名刺より少し小さいくらいの大きさで、12桁の数字を表示できる液晶を持つ端末でした。一台ごとに電話番号が割り当てられていて、呼び出すとベルが鳴り、12桁の液晶に連絡して欲しい電話番号を表示させる機能がある受信専用の端末でした。

確か契約料金も安くて、2,000円くらいだったかと記憶しています。

当時は、一部を除き携帯電話も普及していない時代だったため、電話連絡は固定電話か、公衆電話からしかできない時代でした。

主な用途としては、外出の多い営業担当者にポケベルを持ってもらい、会社に連絡をして欲しいときなどにポケベルを鳴らし、かけて欲しい電話番号を通知し、最寄りの公衆電話から電話をかけてもらうという使い方でした。

大学1年生の頃、お付き合いしていた彼女と群馬と静岡とで遠距離だったため、地元群馬に戻るときや待ち合わせなどで長い時間連絡が付かなくなることがあり、また遠距離電話料金がかさむため、ポケベルを使って簡単なメッセージを送信しあっていたりしました。初期の頃のポケベルは、番号しかメッセージとして送信することができなかったため、「0833」や、「0840」や、「194」や、「0906」や、「114106」など、数字で表現できる暗号のようなメッセージを送信しあっていました。今にして思えば、え?なんて思うかもしれませんが、外に出ると会うまでは全く連絡が取れない状況だったため、すれ違うことが多く、こんなメッセージでも十分助かったのです。

その後、数字だけでなく文字も送信できるようになったのですが、0~9までの組み合わせて文字を組み立ててなければならなかったので変換テーブルがどうにもなじめず、契約することはありませんでした。月額使用量が安かったこともあり、文字が送信できるようになると当時の女子高生の間でとても流行っていました。公衆電話でものすごいスピードで数字をプッシュし、文字を組み立てているのを見ると、女子高生の適応力の高さたるものや凄まじいなと思ったこともあります。

ちなみに、数字の組み合わせはこんな意味がありました。

0833   おやすみ
0840   おはよう
194    行くよ
0906   遅れる
114106 愛してる

ああ、なつかしや。

当時は、そこら中に電話ボックスや公衆電話が設置されていましたが、今は、かろうじて防災用途として公園に1台あるくらいですものね。世の中変わったものです。

1996年~ デジタルムーバ Panasonic P201 HYPER

1990年代半ばになると、携帯電話が普及し始めて各社さまざまな端末がリリースされるようになりました。とはいえ、まだ月額基本料金が高く、1万円しないくらいの価格設定でした。

ポケベルだと、呼び出されたら公衆電話を探して電話をかけなければならないことに煩わしさを感じたことと、計算すると遠距離電話代に毎月2万円近く支払っていたので、携帯電話料金とあまり変わらないことに気が付きその当時の彼女と一緒に携帯電話を契約することにしました。

結構いろいろな端末が出ていたのですが、とにかく小さくて、軽くて、長時間通話できる端末という条件で選んだのが、Panasonic P201 HYPERでした。

初めて携帯電話を手にしたときは、相当興奮しました。周りの学生で携帯電話を所有している人はいなかったので、どこにいても電話がかけられるし、どこにいても電話を受けてお話しすることができるという環境にいる優越感がありました。さらに、これで彼女とすれ違いで嫌な思いをすることはないよね、と本気で思いました。そしたら、かえってそれがあだになり、なんで電話来ないのかしらとか、なんで電話を取ってもらえないのかしらとか疑心暗鬼になったりした若い頃がありました。よくよく聞いてみると、着信音がうるさいので小さくしてかつカバンの中に入れていると、気づかないことが多かったとのこと。いやほんと青かったね。

この頃の携帯電話は、音声通話だけで、SMSやショートメールなどのテキストメッセージの送受信機能はありませんでした。もちろん、インターネットの普及前だったので、Webブラウザも搭載されていなかったし、ドコモのi-modeもありませんでした。

端末代も月額使用料も高かったけど、活躍してくれた1台でした。

Wikiにムーバのページを見つけたのでリンクを貼り付けておきます。

1998年~ PHS パルディオ611S

その後、大学を卒業して就職してすぐに、お付き合いしていた彼女にフラれたこともあり携帯電話は解約してしまいました。

この頃は、インターネットがかなり一般化されてきて、一般企業でも電話や郵便やFAXによる文書のやり取りからe-mailによるコミュニケーションが普及してきて、これに伴い通信回線が発達してISDNや、PHSが普及し始めてきた頃でした。

このPHSがなかなか優れもので、初期は32kbpsの通信速度しか出なかったのですが、64kbpsの通信速度が出るようになると、携帯電話の9600bpsより遥かに早いため、メールの送受信やインターネットのブラウジングなどに有効利用することができました。一方、音声通話も当然できたのですが、遠くまで電波が届かないことから基地局の設置密度が高くなり、車で移動中の音声通話は、基地局切替に5,6秒かかるため切れてしまい使えませんでした。

とはいえ、ノートPCとPHSを接続してインターネットの情報を閲覧したりメールを確認する用途ではとても便利に使えました。月額基本料金は携帯電話よりもかなり安く、確か3,000円台だったと記憶しています。コストパフォーマンスに優れた端末でした。

そして、このパルディオ611Sは、当然音声通話とデータ通信の両方ができる端末なわけですが、様々な端末と比較して圧倒的に優れていた点が1つありました。

それは、当時のノートPCのほとんどすべてに搭載されていたPCカードスロットに、ケーブルなしでサクッと差し込んでモデムとして使うことができたのです。これは画期的でした。余計なケーブルを持つ必要がなく、音声通話だけでなく、ノートPC用モデムとしても使える1台2役はとても関谷さん好みでした。

値段も安く、期待以上に活躍してくれた1台でした。

Wikiにパルディオ611Sのページがあったのでリンクを載せておきます。

まとめ

今回は90年代に所有していた端末にフォーカスして書きました。

ちょうど携帯電話が一般に普及する頃でした。この頃は、各キャリアからメール送信機能が実装されて、文字だけでなくきらびやかに文字を飾ることのできるデコメールとか、携帯キャリア依存の絵文字が送れるようになってきました。この手の機能追加は、若い女性にフォーカスして開発していたようですね。

この後、10年毎に2000年代、2010年代、2020年代に所有していた端末とそのころのIT技術にまつわる時代背景を合わせて書いていこうと思います。

何の情報提供にもなっていないことはわかっているのですが、当時にあったことを思い出しながら書くことが楽しかったので、そんなことがあったんだと思いつつ軽い気持ちで眺めてもらえれば良いかと思います。

では、今日も良い一日を。

-関谷さん
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